長野県 東御市にある江戸時代より北国街道の交通・商業の中心として賑わった宿場町、海野宿(うんのじゅく)。日本の道百選に選定されるなど歴史ある街並みがご覧いただけます。
東京からは車で2時間半、名古屋からは車で3時間半の距離にあります。
【車】 東部湯の丸ICから約10分
【電車】 大屋または田中駅より徒歩20〜25分
海野宿は寛永二年(1625年)に北国街道の宿駅として開設されました。
江戸時代の旅籠屋作りや茅葺き屋根の建物、明治以降の堅牢な蚕造りの建物が調和した海野宿。中山道と北陸道を結ぶ重要な街道として佐渡で採れた金の輸送、北陸諸大名の参勤交代、善光寺参拝など様々な目的で賑わいました。
昔より"売らない・貸さない・壊さない”の三か条が掟としてあったため、現在も商いをしている箇所が少なく、生活感が色濃く残る静かな宿場町です。
道の中央を用水が流れ、その両側に格子戸のはまった美しい家並みが建ち並ぶ海野宿。
江戸時代の宿場の建物と、明治以降の養蚕造りの建物がよく調和しながら、伝統的な家並みを形成しています。
1.明治以降の建物、2.中央に流れる用水、3.街道に立ち並ぶ柳、4.江戸時代の建物
防火壁の役割を果たす卯建(うだつ)が特徴的な海野宿の街並み。江戸時代の屋根より一段高く上げた「本うだつ」や明治時代には装飾を兼ねた「袖うだつ」が設けられるようになりました。
海野宿には格子戸にはまった家が続いていますが、長短二本ずつと交互に組み込まれた海野宿特有の美しい模様を織り成しています。これらは江戸時代のもので「海野格子」と呼ばれています。 明治時代に入ると製糸業が盛んになり、宿場の街から養蚕の村へと変わっていきました。蚕の飼育のため、小屋根と呼ばれる煙出し用の気抜き窓が大屋根の上にとりつけられました。この小屋根は下から紐で引っ張って開閉できるようになっています。
1.本うだつ、2.袖うだつ、3.海野格子、4.気抜き
海野宿の街並みには歴史を感じる建築物が数多く残り、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。
そのため、歴史のふる里をを想わせる静かな佇まいを感じさせてくれます。